一生続けられる趣味って存在するの?
こんにちは。
突然ですが、皆さんに「趣味」はありますか?
(引用:金魚と遊ぶ.com)
それは、例えば
小さい頃から続けている野球、もとはといえば両親に習わされて始めたピアノ。同僚と通うボルダリング、カフェで小説を読むこと。色々なコトが「趣味」にあたるだろう。
しかし、なんというか、27歳を超えたあたりから
(まだまだそんな年齢でないことは重々承知だが、)
「体がついてこない」「最近忙しくて・・・」
趣味に対する、ネガティブな声を聞くようになった。
人は歳をとると、趣味に興じるための「体力」と、新しい趣味を始める「気力」が失われてしまうのだろうか。しかし一方で、歳をとる中で身につくコトもあるはずだ。「人生経験を通じたノウハウ」である。これを反映した「趣味」こそ、年月によって熟成される理想的な形態ではないかと思う。
*補足すると、ここで言う「ノウハウ」は、芸術やスポーツのような審美眼・競技性を付帯する行為とは一線を画す。具体的に言うと、「人と人がコミュニケーションをとる際に起きる、あらゆる事象を予測する力」といった感じだ。
▼参考記事:大人になると「誕生日」に起きること
【ここで本題】
社会人6年目を迎えた私には現在、胸を張って「趣味」と呼べるモノが特になく、ほんの少し寂しさを感じていた。そこで。「平成→令和」という一つの区切りを迎えた今こそ、「一生続けられる趣味」を考えてみよう、と思い立ったのが今回の企画である。
▼過去はコチラ(※「エピソード0」公開中)
stepfatherena15.hatenablog.com
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「今まで見つけられなかった、新しい趣味の切り口はないか」
「これからやりたいことは何か」
近所のカフェで考える。良案はまったく浮かびそうにない。思いついたことを強いてあげるならば、「バス・トイレ別の部屋へ引っ越したいが、家賃とのバランスは要検討」くらいのものだ。このように困った時は、銭湯へ行くか、気の置けない友人へ相談するのが良いだろう。すでに卓上のアイスコーヒーは氷が溶けきっており、薄茶で濁ったツートン状態になっている。まずい。
【3日後】
「こんにちは」
「こんにちは」
大学時代の先輩へ連絡してみた。こちらの女性、現在はデザイナーとして活動されている。デザインの「デ」も「ザイン」の字も知らない私にはよくわからないが、ペンタブを華麗に使いこなすその様は「IT感のある人」といって差し支えないだろう。私はそんな先輩へ敬意を表し、彼女を「お婆さん」と呼んでいた。
早速、私はお婆さんへいきさつを話した。
「キッチンが狭いのも悩みだ」
「引っ越せ」
「岐阜編が終わった後にさ」
「ワードプレスの記事でさ」
「1話だけ更新したやつあったじゃん」
「レゴシティ計画か」
◆「レゴシティ(計画)」とは
映画「リメンバー・ミー」鑑賞がきっかけで、自分自身も死後に友人たちから忘れられない方法を考えた企画。その結果、『友人Aに生涯、ことあるごとにレゴをプレゼントし続ける』という案をシミュレーションし、普通に失敗した。
(引用:https://www.disney.co.jp/)
『なぜ、ことあるごとにレゴを贈るのか』
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①友人に「あいつによくレゴもらったなぁ」という記憶を植えつける。
②私の葬式では、今までプレゼントしたレゴをすべてバラし、棺桶へ入れてもらう。
③そのレゴたちが「レゴシティ」となり、私が没後に暮らす死者の国を描き出す。
④私が死んだ後、友人がどこかで偶然レゴを見かける⇒私を思い出す。
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正直何を言っているのかわからないことと思うが、要は「自分にとって大切な人たちから忘れられないために、何が出来るだろう?その解を考えるコト自体を趣味にする」という趣旨だ。
「あれは心温まるぜ」
「なるほど」
「ハートウォーミング系な」
「プレゼントを渡すっていう行為にはさ」
「“どこかで会う”っていう前提があるわけじゃん?」
「そうだね」
「大人になるにつれて、会わなくなってゆくじゃない?」
「人は」
「会うって素敵やん」
「レゴにノータッチじゃんお前」
「とはいえ"生きてきた証を作る"っていうのは素敵な趣味だな」
「大きな目標を掲げて本気で臨むからこそ、周りの人から手を差し伸べてもらえるのだと思うよ」
「たとえその手法が、エンドレスなレゴだとしてもね」
「正直何言ってるかわからないけど」
「デザインの"デ"の字もないし」
お婆さんから辛辣な意見もあったが、レゴシティ計画は壮大なテーマを持つ、趣味に適したアイデアかもしれない。そうなると、ここで1つ明確にすべきポイントがある。仮に「趣味」とするならば、レゴが「リメンバー・ミー」の手段として機能する最適なアイテムであるかどうか検討しなければならないのだ。
「この趣味、レゴじゃなくてもいける説ないか?」
「試しに」
「レゴを別のモノに置き換えてみようか」
「うん」
「レゴじゃなくてレリゴー」
(引用:https://matome.naver.jp/odai/2141070120997582801/2141073182915478403)
「ことあるごとにレリゴ―のCD渡すの?」
「うん」
「狂気じゃん」
「レゴみたいに、いろいろな商品・シリーズがあるのが必須だな」
「レゴにしか出来ない差別化ポイントだね」
「レゴじゃなくて囲碁」
( 引用:boardgame-blog.com)
「対局すんの?」
「うん」
「対局ごとに新たなストーリーが生まれる」
「ものは言いようだな」
「でも囲碁は」
「アレが邪魔」
「アレよ」
▼「碁盤」が出てこないババア
「下手したらアレ、レゴより場所とるぜ」
(引用: 黒田碁盤店)
「碁盤は購入しないとダメだよな」
「うん、碁盤は必須」
「」
「その点」
「レゴは場所をとらない」
「いやそんなことはない」
「バラせるじゃん」
「レゴには箱があるから」
「!」
「バラして運ぶとき用に保管するやつね」
「逆に、アレは1つ買えばずっと使えるから」
「じゃあ碁盤の方がかさばらないか」
「レゴ負けてらぁ」
(引用:アマゾン)
レゴは惜敗した。箱が邪魔だった。しかし、IT感のあるかつての仲間がいない今、このお婆さんの協力を得ることが必要な私は“レゴである必然性”を説く。ところで、そもそも“レゴじゃなくてもいい説”を提唱したのは私なので、時系列を整理すると私は1人で勝手に形成逆転されたことになる。いわゆるタイムロスだ。
◆『レゴじゃなくてWE-GO』
このときお婆さんへ言おうとして言わなかったコト。“WE-GOで買った服を延々と友人Aに贈る”という行為は手段として不適切である。“非日用品”であり “雑貨”としての機能・バラエティが担保できるレゴに軍配が上がるだろう。ちなみに、今までの企画(「岐阜編」「Tokyo案庵」)は中身のない雑談が多く、ドラゴンボールのアニメ並みに話が進まなかったので、「今回は発言に十分注意しよう」と決意していた。しかしその結果、このように言葉と文章の性質差を用いた巧妙なトリックでWE-GOの話をしてしまっている次第だ。タイムロスである。
「結局のところ、連続性とストーリー性が大事じゃない?」
「たしかにねえ」
「さっきお前が言ってた、『そのレゴが死者の国となる』みたいな強引なやつ、めっちゃツボだわ」
「もう1回やって」
「贈り続けたレゴシティの欠片たちは、自身が死ぬとき、棺桶の中に還る」
「ふむふむ、欠片たち=バラバラになるわけね」
「レゴシティの欠片が、自分自身の“死者の国”を描き出す」
お婆さん渾身のハッとした演技のクオリティは、非常にしょうもなかった。
しかし、いつの時代もお婆さんと郷ひろみは素敵な事件(こと)を探している。何はともあれコンセンサスがとれたので、「【レゴシティ編】とある友人Aに、ことあるごとにレゴを贈り続ける企画」が正式にスタートを切ることとなった。
今後の人生で幾度となくレゴを渡され、いつの日か自宅に“レゴの街”を築くこととなる友人Aはたぶん複雑な心境だが、将来はお子さんの知育にも活用できる「レゴ」であるからこそ成り立つ【win-winな企画シリーズ】の幕開けである。
お婆さんもジョインした。
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◇お婆さん
【特徴】
・走り方が劇的にダサい
・酒を飲むときは「弱い日」と「めっちゃ弱い日」がある
・頼りになるデザイナーさん
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さて、レゴシティ計画を「趣味」とするには、まだいくつか懸念がある。
①友達にレゴを贈る行為は、趣味として成立するのか
②友人Aのメンタルケア
(≒友人Aがレゴを嫌になってしまうかもしれない)
特に②は非常に重要なポイントだ。
「またレゴかよ」
「嫁がキレてる」
こういった事態を避けるため、何かしらの工夫が必要だ。
<たとえば>
◆フラッシュモブなど、渡すシーンのサプライズ演出
(画像:http://xn--xckxa7cg3drz.com/wp)
◆ドローンを使った、渡す方法のサプライズ演出
(画像:https://www.dronecrew.jp)
アクロバティックな方法も頭をよぎったが、この趣味の目的はそういった“ネタっぽさ”ではなく、地に足のついたモノだ。
悩んだ。
ここにきて「目的」「手段」というワードを繰り返し過ぎて疲れてしまったので、これ以上「目的」と「手段」でゴチャゴチャしないように目的と手段を一緒にすることにした。
(引用:https://tunegate.me/P20161226034)
決して2つの概念が交錯しているわけではなく、これは議論をシンプル化するための合理的発想だ。
◆目的(一生続けられる趣味を作る)の手段。
目的(友人Aにレゴを贈る)の手段。
⇒どうやってレゴを渡すか。
すなわち、「レゴでレゴを渡す方法」を考えた。
【1週間後】
社会人の決断は早い。
動くレゴを購入した。
(http://shinmaipapa.hatenablog.com/entry/LEGO_Technic_2017)
高価だった。
交渉の末、お婆さんに半額(¥17,000)出してもらった。
その後、2日間の組立て作業の末、レゴは完成した。骨の折れる作業だったが、友人が喜ぶ顔を想像するだけで胸は踊ったし、手は動いた。これが<人がお金を使う意味>なのだろう。そう気付いたとき、私はこの趣味の行く先が明るいモノであることを悟った。
動くレゴ。
けなげに動くレゴが可愛いので、名前をつけることにした。
「名前をつけようと思う」
「やべぇやつじゃん」
「レゴに」
「名前つけんの?」
「むかしチャリに名前つけてるヤツいたわ」
レゴに名前をつけることは恥ずかしいことではない。私はこの相棒(レゴ)と共に、友人Aへ生涯レゴを贈り続ける、レゴはいわば伴侶なのだ。
「コイツの名前は」
「明日(あした)」
「」
「ええやん」
他にも候補名は挙がったが、出資してくれたお婆さんの同意が得られたので、名前は「明日(あした)」に決まった。
さて、舞台は整った。
◇友人Aに渡すためのレゴを購入。素晴らしい。
◇この日、友人Aと会う約束をしている。素晴らしい。
あまりに整いすぎて、もはや1周まわって逆に何も整っていないのではないかとすら思った。残る手順は、集合場所で待つ友人Aのもとへ明日がレゴを運ぶだけ。私は近くの木陰に隠れながら、明日を操縦する。
▼イメージ図
J-POPの歌詞で「明日は来る」という言葉をよく耳にするが、友人Aからすればまさに“明日がやって来る”のだ。まさかこんな可視的な形で明日がやってくるとは夢にも思わないだろう。などと想像を膨らませながら明日を眺めていると、集合時刻が迫ってきた。
明日をカバンにしまい、
玄関へ向かう。
明日が入らない。
「うそやん」
困った。
お婆さんにも相談してみたが、時すでに遅し。
持ち運ぶ手段がないのでは何もできない。
◆この状況を整理したのが以下である。
さて、今わかっていることは1つだけ。1つだけだ。
明日を外へ持ち運ぶためには、「大きなカバン」を手に入れる必要がある。
【一生続けられる趣味 「レゴシティ編」 第1話・終わり】