レゴでレゴを渡す,略して"Let it go"
どういうわけか、あれこれ考えたサプライズほど失敗する。物事を慎重に進めるほど、色々なリスクが見つかる。わたしたちは対策を練るが、それでもまだ何かを見落としている、といった具合だ。
これは、実際に起きた話だ。
*実際の記事
不自然な見出しから始まる雑報は、東京・大手町の新聞社に勤める記者から届いた。学生時代の友人Aへ、一生レゴをプレゼントし続ける企画『レゴシティ』第3話の結末だ。私がそのジャーナリストと打合せを行なったのは、2週間ほど前。これは、A邸を訪問しレゴを贈る”Xデー”の6日前にあたる。
厚手の黒いトップスに、真っ赤な靴下、そして整った鼻筋が印象的な男 “イガワ”は、目の前で計画を説明する私に耳をかたむけている。
「Aの長女誕生祝い、これは決行の日」
「つまり来週、いよいよレゴでレゴを渡すのさ」
「どういうことだ」
「一から聞いたけど何もわからなかったぞ」
「レゴでレゴをあげる理由」
▼過去の話はコチラから
【第1話】
stepfatherena15.hatenablog.com
【第2話】
stepfatherena15.hatenablog.com
「そして」
「家から大型レゴ車を持っていくモチベーションは何なの」
「おまえ もしかして まだ」
「理屈で理解しようとしてる?」
(https://xn--u9j207ig9eeojgbx24py0kq70b.com/entry1.html)
「センスの話なのか」
「うん、センスだよ」
「扇は虚空に」
「そう、那須与一だよ」
【※補足】
屋島の戦い「扇の的」『平家物語絵巻』巻十一/wikipediaより引用
「さしずめA邸は壇ノ浦か」
かれこれ10年の付き合いになる、ひとりの友人でもあるイガワは穏やかな表情に戻ると、いつものようにジョークを飛ばした。机上のブレンドコーヒーは、まだ少し熱を残している。猫舌に定評のある私が『時は来た』と言わんばかりの、橋本真也然とした表情でカップへ手を伸ばすと、彼は言葉をつづける。
「何より」
「当日の天気予報は雨だ」
(https://www.marunouchi.com/tenants/6015/index.html)
「わかる」
「わかるよ」
「でも」
「たとえばおれが、その日の正座占いでビリだったとして」
「ラッキーアイテムが『青い車』だったとして」
「スピッツ聴いて乗り越えろ」
「そもそも」
「IKEAのカバン」
「アズカバンな」
「荷物多くない?」
「ってなる」
「このバッグ」
「杉並でコインランドリーいく人しか使わないもの」
「偏見さん」
「ヘンドーケンイチさんだ」
「渋谷区で見たから」
「おととい」
「道玄坂の方」
話は戻るが、『さしずめA邸は壇ノ浦か』の意味がまったくわからない。聞かぬは一生の恥だが、どうせテキトーに言ったに違いないのだ。
にしてもだ。お婆さんと同じく、彼もレゴシティに対してシビアな見解である。2人が指摘するのは、実現可能性について。当日の動きに不安要素があることは私も認識している。第一に、私とイガワがA邸を訪ねる上で、本人が駅まで迎えに来る点だ。この計画は“レゴ贈呈の瞬間まで気づかれないこと”が前提なので、集合時に明日がバレてしまっては元も子もない。お宅への直接訪問であれば、家のドアが開いた瞬間に明日を発動できるのだが。
そしてもう1つの懸念。Aには本編を目にするチャンスがいくらでもある点だ。具体的には、Aも閲覧するSNS上で堂々と公開しているわけだが、この行動には“この話はフィクション”というミスリードを生み出す意図もあるので、簡単には引っこめられない。記事を読むことで、A本人が『もしかしておれがAなんじゃないか?』という疑いへ至るリスクは格段に下がるのだ。などと考えたものの、明日やアズカバンの顔は割れているはず。駅でアズカバンブルーを抱えた私を目にした瞬間、Aはすべての真相に気付くだろう。愚策だった。
ところで“不安要素”というやつは、かの名将・田岡茂一が犯したミスのように、終盤にえてして反転する。競技経験たった3か月の素人・桜木を甘く見てはいけなかった。
「まあ、やってみるしかないよね」
「結局のところ」
「せっかく大型レゴ車を買ったわけだし」
「明日な」
「“おおがたれごぐるま”って言うのやめろ」
「なんだよれごぐるまって」
「ところでさ」
「乗せてくれないか」
「?」
「おれのプレゼントも」
「れごぐるまに」
「お前も買ったのか?」
レゴかもしれない。
「レゴ」
「ギフト」
「子供の誕生祝いとして喜ばれるな」
「ギフトは」
「レゴは喜ばれないとわかっているのか」
「うん」
「だからだよ」
「何を贈ろうかと悩む”時間”こそがギフトだ」
「詭弁和歌山」
(https://www.marunouchi.com/tenants/6015/index.html)
「子供の誕生祝いといえば」
「昔、近所でよくサッカーをした公園の裏に」
「ベビー服の『西松屋』があったんですね」
「うん」
「あれは、よく晴れた夏の日だった」
「放課後に友達とボールを追いかけていた」
「すると、大きく蹴り上げられたボールは」
「西松屋の屋根に乗っかってしまった」
*現場の状況
「おれたちは考える」
「小学生たちは5,6人で店内へ乗り込み、事情を説明した」
「ボールをとってくださいと」
「正直だな」
「そのときのお詫び文句が」
『ごめんなさい、いつかここで買い物をして返します』
「粋だな」
「それに比べて」
「なぜこの歳になってレゴ、レゴと酔狂なことを」
「ボールは返してもらえたのか?」
「店員さんにとってもらった」
「しかし、悲劇は繰り返される」
「成長とともに、キック力は増していったんだ」
(http://blog.livedoor.jp/gujinbookman/archives/7885036.html)
「お前」
「またやったのか」
「4,5回と」
「成長期だし」
「学習しないのか」
「っていうエピソードを、この前母親と話したんだが」
「 」
「3月に甥っ子が生まれてな」
「先日、ついに西松屋で買い物する日が来たらしい」
「おお」
「18年の時を超えて」
「なぜ急に物語ったんだ」
「何事もストーリーが大事」
「悩む時間=ストーリーこそがギフトってことだよ」
「Aにレゴを渡すまで、35,000円の”知育玩具”を購入し、組み立て、IKEA遠征をした」
「知らんけど」
「そのアピールに関しては」
「トイ・ストーリーの実写版」
「まあ、上手くいくんじゃないか」
「優しいから」
「Aは」
「 」
「優しさに委ねたらダメじゃん」
「優しいとは」
「強いということだ」
名ゼリフをパクった上に、何か言いたげな様子である。もしかして、『A邸はさしずめ壇ノ浦か』の伏線回収をするつもりなのかもしれない。しかし、日本史の勉強を疎かにしている私には知る由もなかった。
「よく考えてくれ」
「優しさベースでやったら」
「ぜんぶウソだぜ?」
◆参考:「ぜんぶ嘘」について
trendnews.yahoo.co.jp
「こんなに真剣に準備してきたのに」
「ただ、結局のところAの優しさありきだ」
「現実に即したアプローチを」
「まず、この企画はフィクション」
「でも、レゴは創意工夫の権化だから」
「親和性を醸しだせる」
「難しいこと言ってるけど、つまりそれがトイ・ストーリーってことだろ」
「そしてお前は、玩具と権化で珍しいパターンの韻を踏もうとしたんじゃないか?」
「うるさいよ」
なぜ男という生き物は。
誰かが発したさりげない言葉に”韻を踏もうとした疑惑”をかけてしまうのだろう。
悲しいかなその愚行は、きっと新たな韻の冤罪を生む。
「記念すべき初回のレゴ贈呈」
「計画通り、バレないようにレゴでレゴを運ぶ」
「そもそも前提が間違っている」
「覚えてないのか?」
「 」
「俺たちは」
「あいつに4回もレゴを贈っているんだぞ?」
「もう解放してやれ」
「友人エー・・・ルヴィンスミス」
学生時代からの友人であるAにとって、レゴは切っても切れない存在だ。
風邪を引いたとき、お見舞いに来た友人からの差し入れがレゴ。
友人からの結婚祝いがレゴ。
店長を務める油そば屋に友人が来たが、差し入れがレゴ。
店長を務めた油そば屋の閉店が決まり、最終営業日、食べに来た友人からの差し入れがレゴ。
最後の1回については、もはや私も知らないところでレゴが贈呈された。やったのはあの人、お婆さんだ。
そして、この歴史の先に「誕生祝いがレゴ」←NEW!
「張ってもいない伏線を勝手に回収すんなよ」
「難攻不落の叙述トリック」
「マジ壇ノ浦すぎウケる」
(https://www.marunouchi.com/tenants/6015/index.html)
<Xデー当日>
ありのままに、長女の誕生をお祝いした。
懸念していた“待ち合わせ”の突破シーンについて語ろう(※)。私はアズカバンから注意をそらすべく、上からトートバッグを併せて運んだ。小細工であることは自明。しかしだ。Aの奥さんや、生後2か月の長女を含む全員のうち、ただ一人、Aだけが明日の存在に気付かなかったのである。いつの日か、広辞苑の「杞憂」に例文を記す権利を得たなら、選択肢は1つしかない。
(※)中学生の頃、“語ろう”と“肩ロース”で韻を踏もうとしたヤツを許せなかったことがある。この話とは無関係だが、私はその試みを今も許すことが出来ないままだ。
*突破した方法。小細工であることは自明
同日の訪問では、最終的に『Aは、明日もアズカバンも知らなかった』ことがわかった。
思っている以上に、周囲の人は何も思っていない。
イガワと駅のホームで別れを告げると、私はひとり総武線へ乗り込み、小雨の降る景色をながめていた。肩にかけたアズカバンは、行きの道のりに比べてはるかに重い。レゴでレゴを運んだからといって、何なのだ。
1週間後、かの聞屋から冒頭の記事が届く。事実が綴られている。イガワのことばは機械的でありながら、私の心へ「走れ、あきらめるな」そう小さく囁いていた。
【レゴシティ編 第3話 終わり】