逆にどうぶつが主体的にあつまる森
【Q. アフターコロナ、何が起きるのか】
【A. その先に、3つの事象が発生する】
①ガチョウが絶滅の危機に陥る
②ハンコの買い替えが増える
③福井県・鯖江市の経済が潤う
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「つまり、ガチョウが絶滅するのか?」
土曜の15時、換気のために窓を半分開けて、飲み物のおかわりを淹れる。テレワークが続くようになり、一日中コーヒーばかり飲んでしまうのは私だけだろうか。
「カフェインの過剰摂取は、睡眠の質を落としますよ」
「インスタントの嗜好飲料、売れてるらしいね」
「そうなると、寝具にこだわる人が増えるかも!」
「西川産業?」
「羽毛ふとんか」
「あー欲しいっすね、高級ふとん」
「10億年ぶりにあのダジャレ言ってもいいっすか?」
「ダメ」
答えは、ガチョウだった。
このコミュニケ―ションにも慣れた。調べものをしながらスムーズに会話できるので、予想外の知識も得られることも判明。この日は、それぞれの自宅から「アフターコロナ」について話し合う。
ガチョウは英語で“Goose”
GOOSE HOUSE
思い出したように、手元のメモに記した。
人気Youtubeチャンネルの先駆け的な存在である。もともとクオリティの高いカバー曲の動画で有名だが、オリジナル曲にも定評がある。かの名曲「sing」は、つまり「寝具」だったのだ。
つまり、ガチョウが危ない?
テレビの向こうでは、病院のベッド不足も叫ばれている昨今だ。あながち間違いとは言えない。なにか、出来ることはあるだろうか?
▼簡単にまとめると、ポイントは以下だ。
ガチョウは住まいの理想が高く、飼うのは難しそうだ。
それだったら私も、お風呂の大きさは金沢21世紀美術館にある「スイミング・プール」くらいが良いし、南向き・芝生付きバルコニーが欲しい。しかし、文句を言う暇があるなら銭湯へ行けばいいし、公園の芝生でひなたぼっこして、アイスを買って帰ればいい。しばらくは、我慢だ。
なんというかまあ、“ガチョウは銭湯へ行けない”そんな慣用句が存在するのかは知らないが、そういうことなのだろう。
“人のガチョウを料理する”という慣用句が存在した。
「人の希望や計画を台無しにする」という意味らしい。
健康管理の注意点もチェックした。具合が悪い、ずっとうずくまっているなど、普段と様子が違うときは、獣医さんに診せた方が良いようだ。40才以上のガチョウは、注意深く観察することが必要。ガチョウは思ったより長生きだ。ちなみに食べ物は、ニワトリの餌や青菜を刻んだモノが望ましい。
ニワトリの餌ってなんだ。
たしかに、まず調べることは大事だ。
ただ、「なんでも調べる病」には、かからないよう気を付けよう。
ときには、あれこれ考え、想像することも必要だ。
レゴでレゴを渡す,略して"Let it go"
どういうわけか、あれこれ考えたサプライズほど失敗する。物事を慎重に進めるほど、色々なリスクが見つかる。わたしたちは対策を練るが、それでもまだ何かを見落としている、といった具合だ。
これは、実際に起きた話だ。
*実際の記事
不自然な見出しから始まる雑報は、東京・大手町の新聞社に勤める記者から届いた。学生時代の友人Aへ、一生レゴをプレゼントし続ける企画『レゴシティ』第3話の結末だ。私がそのジャーナリストと打合せを行なったのは、2週間ほど前。これは、A邸を訪問しレゴを贈る”Xデー”の6日前にあたる。
厚手の黒いトップスに、真っ赤な靴下、そして整った鼻筋が印象的な男 “イガワ”は、目の前で計画を説明する私に耳をかたむけている。
「Aの長女誕生祝い、これは決行の日」
「つまり来週、いよいよレゴでレゴを渡すのさ」
「どういうことだ」
「一から聞いたけど何もわからなかったぞ」
「レゴでレゴをあげる理由」
▼過去の話はコチラから
【第1話】
stepfatherena15.hatenablog.com
【第2話】
stepfatherena15.hatenablog.com
「そして」
「家から大型レゴ車を持っていくモチベーションは何なの」
「おまえ もしかして まだ」
「理屈で理解しようとしてる?」
(https://xn--u9j207ig9eeojgbx24py0kq70b.com/entry1.html)
「センスの話なのか」
「うん、センスだよ」
「扇は虚空に」
「そう、那須与一だよ」
【※補足】
屋島の戦い「扇の的」『平家物語絵巻』巻十一/wikipediaより引用
「さしずめA邸は壇ノ浦か」
かれこれ10年の付き合いになる、ひとりの友人でもあるイガワは穏やかな表情に戻ると、いつものようにジョークを飛ばした。机上のブレンドコーヒーは、まだ少し熱を残している。猫舌に定評のある私が『時は来た』と言わんばかりの、橋本真也然とした表情でカップへ手を伸ばすと、彼は言葉をつづける。
「何より」
「当日の天気予報は雨だ」
(https://www.marunouchi.com/tenants/6015/index.html)
「わかる」
「わかるよ」
「でも」
「たとえばおれが、その日の正座占いでビリだったとして」
「ラッキーアイテムが『青い車』だったとして」
「スピッツ聴いて乗り越えろ」
「そもそも」
「IKEAのカバン」
「アズカバンな」
「荷物多くない?」
「ってなる」
「このバッグ」
「杉並でコインランドリーいく人しか使わないもの」
「偏見さん」
「ヘンドーケンイチさんだ」
「渋谷区で見たから」
「おととい」
「道玄坂の方」
話は戻るが、『さしずめA邸は壇ノ浦か』の意味がまったくわからない。聞かぬは一生の恥だが、どうせテキトーに言ったに違いないのだ。
にしてもだ。お婆さんと同じく、彼もレゴシティに対してシビアな見解である。2人が指摘するのは、実現可能性について。当日の動きに不安要素があることは私も認識している。第一に、私とイガワがA邸を訪ねる上で、本人が駅まで迎えに来る点だ。この計画は“レゴ贈呈の瞬間まで気づかれないこと”が前提なので、集合時に明日がバレてしまっては元も子もない。お宅への直接訪問であれば、家のドアが開いた瞬間に明日を発動できるのだが。
そしてもう1つの懸念。Aには本編を目にするチャンスがいくらでもある点だ。具体的には、Aも閲覧するSNS上で堂々と公開しているわけだが、この行動には“この話はフィクション”というミスリードを生み出す意図もあるので、簡単には引っこめられない。記事を読むことで、A本人が『もしかしておれがAなんじゃないか?』という疑いへ至るリスクは格段に下がるのだ。などと考えたものの、明日やアズカバンの顔は割れているはず。駅でアズカバンブルーを抱えた私を目にした瞬間、Aはすべての真相に気付くだろう。愚策だった。
ところで“不安要素”というやつは、かの名将・田岡茂一が犯したミスのように、終盤にえてして反転する。競技経験たった3か月の素人・桜木を甘く見てはいけなかった。
「まあ、やってみるしかないよね」
「結局のところ」
「せっかく大型レゴ車を買ったわけだし」
「明日な」
「“おおがたれごぐるま”って言うのやめろ」
「なんだよれごぐるまって」
「ところでさ」
「乗せてくれないか」
「?」
「おれのプレゼントも」
「れごぐるまに」
「お前も買ったのか?」
レゴかもしれない。
「レゴ」
「ギフト」
「子供の誕生祝いとして喜ばれるな」
「ギフトは」
「レゴは喜ばれないとわかっているのか」
「うん」
「だからだよ」
「何を贈ろうかと悩む”時間”こそがギフトだ」
「詭弁和歌山」
(https://www.marunouchi.com/tenants/6015/index.html)
「子供の誕生祝いといえば」
「昔、近所でよくサッカーをした公園の裏に」
「ベビー服の『西松屋』があったんですね」
「うん」
「あれは、よく晴れた夏の日だった」
「放課後に友達とボールを追いかけていた」
「すると、大きく蹴り上げられたボールは」
「西松屋の屋根に乗っかってしまった」
*現場の状況
「おれたちは考える」
「小学生たちは5,6人で店内へ乗り込み、事情を説明した」
「ボールをとってくださいと」
「正直だな」
「そのときのお詫び文句が」
『ごめんなさい、いつかここで買い物をして返します』
「粋だな」
「それに比べて」
「なぜこの歳になってレゴ、レゴと酔狂なことを」
「ボールは返してもらえたのか?」
「店員さんにとってもらった」
「しかし、悲劇は繰り返される」
「成長とともに、キック力は増していったんだ」
(http://blog.livedoor.jp/gujinbookman/archives/7885036.html)
「お前」
「またやったのか」
「4,5回と」
「成長期だし」
「学習しないのか」
「っていうエピソードを、この前母親と話したんだが」
「 」
「3月に甥っ子が生まれてな」
「先日、ついに西松屋で買い物する日が来たらしい」
「おお」
「18年の時を超えて」
「なぜ急に物語ったんだ」
「何事もストーリーが大事」
「悩む時間=ストーリーこそがギフトってことだよ」
「Aにレゴを渡すまで、35,000円の”知育玩具”を購入し、組み立て、IKEA遠征をした」
「知らんけど」
「そのアピールに関しては」
「トイ・ストーリーの実写版」
「まあ、上手くいくんじゃないか」
「優しいから」
「Aは」
「 」
「優しさに委ねたらダメじゃん」
「優しいとは」
「強いということだ」
名ゼリフをパクった上に、何か言いたげな様子である。もしかして、『A邸はさしずめ壇ノ浦か』の伏線回収をするつもりなのかもしれない。しかし、日本史の勉強を疎かにしている私には知る由もなかった。
「よく考えてくれ」
「優しさベースでやったら」
「ぜんぶウソだぜ?」
◆参考:「ぜんぶ嘘」について
trendnews.yahoo.co.jp
「こんなに真剣に準備してきたのに」
「ただ、結局のところAの優しさありきだ」
「現実に即したアプローチを」
「まず、この企画はフィクション」
「でも、レゴは創意工夫の権化だから」
「親和性を醸しだせる」
「難しいこと言ってるけど、つまりそれがトイ・ストーリーってことだろ」
「そしてお前は、玩具と権化で珍しいパターンの韻を踏もうとしたんじゃないか?」
「うるさいよ」
なぜ男という生き物は。
誰かが発したさりげない言葉に”韻を踏もうとした疑惑”をかけてしまうのだろう。
悲しいかなその愚行は、きっと新たな韻の冤罪を生む。
「記念すべき初回のレゴ贈呈」
「計画通り、バレないようにレゴでレゴを運ぶ」
「そもそも前提が間違っている」
「覚えてないのか?」
「 」
「俺たちは」
「あいつに4回もレゴを贈っているんだぞ?」
「もう解放してやれ」
「友人エー・・・ルヴィンスミス」
学生時代からの友人であるAにとって、レゴは切っても切れない存在だ。
風邪を引いたとき、お見舞いに来た友人からの差し入れがレゴ。
友人からの結婚祝いがレゴ。
店長を務める油そば屋に友人が来たが、差し入れがレゴ。
店長を務めた油そば屋の閉店が決まり、最終営業日、食べに来た友人からの差し入れがレゴ。
最後の1回については、もはや私も知らないところでレゴが贈呈された。やったのはあの人、お婆さんだ。
そして、この歴史の先に「誕生祝いがレゴ」←NEW!
「張ってもいない伏線を勝手に回収すんなよ」
「難攻不落の叙述トリック」
「マジ壇ノ浦すぎウケる」
(https://www.marunouchi.com/tenants/6015/index.html)
<Xデー当日>
ありのままに、長女の誕生をお祝いした。
懸念していた“待ち合わせ”の突破シーンについて語ろう(※)。私はアズカバンから注意をそらすべく、上からトートバッグを併せて運んだ。小細工であることは自明。しかしだ。Aの奥さんや、生後2か月の長女を含む全員のうち、ただ一人、Aだけが明日の存在に気付かなかったのである。いつの日か、広辞苑の「杞憂」に例文を記す権利を得たなら、選択肢は1つしかない。
(※)中学生の頃、“語ろう”と“肩ロース”で韻を踏もうとしたヤツを許せなかったことがある。この話とは無関係だが、私はその試みを今も許すことが出来ないままだ。
*突破した方法。小細工であることは自明
同日の訪問では、最終的に『Aは、明日もアズカバンも知らなかった』ことがわかった。
思っている以上に、周囲の人は何も思っていない。
イガワと駅のホームで別れを告げると、私はひとり総武線へ乗り込み、小雨の降る景色をながめていた。肩にかけたアズカバンは、行きの道のりに比べてはるかに重い。レゴでレゴを運んだからといって、何なのだ。
1週間後、かの聞屋から冒頭の記事が届く。事実が綴られている。イガワのことばは機械的でありながら、私の心へ「走れ、あきらめるな」そう小さく囁いていた。
【レゴシティ編 第3話 終わり】
IKEAでやたらトリック考える先輩
明日があるさ 明日がある。
デカすぎて部屋の中にある。
わたしはこれから、2つの壁を乗り越えなければならない。
1つは、どうやって現場まで「明日」を運ぶか。
もう1つは、いかにして友人Aに悟られず、現場で「明日」を動かすか。
◆前回までのあらすじ
社会人6年目を迎えた私は、今後の人生で「一生続けられる趣味」を真剣に探した結果、とある友人A(通称:A)へ、ことあるごとにレゴを贈り続ける企画 「レゴシティ編」を立ち上げた。
【イメージ】
▼詳細はコチラから
stepfatherena15.hatenablog.com
レゴを運ぶレゴ・通称「明日」は無事完成したが、トラブルも発生した。明日が大きすぎてカバンに入らず、外へ持ち運べないのだ。まだ第1回なのに、レゴシティ計画は暗礁に乗り上げた。
【イメージ】
途方に暮れていた。(これ以上に暮れようがないレベル)
「一生続ける趣味」として、Aへレゴを贈るために行った準備は、明日のオーバーサイズ問題ですべて水泡に帰した。おばあさんとコンタクトをとり、早急に対策を検討する。
「いや作るときに気づけよ」
「くそデカいだろあれ」
◆明日の購入にあたり、半額出してくれた
「17,000円返せよ」
「マジで」
「明日を持ち運ぶには」
「カバンが必要だ」
「 」
「いや、さすがに出さねーよ?」
「そんなトーンで言うけどお前あれよな」
「発想が弱き者」
「いや、そういう話じゃなくて」
「大きなかばんを知らないか?」
「思い当たる節がある」
「おお」
長寿の知恵があった。
「しかし」
「もう1つの壁を突破する必要がある」
「でた金●一少年!」
「タロット山荘殺人事件」
「知らんけど」
「タロット山荘に関しては」
【実際のトリックはコチラから!】
「明日を現場まで運んだところでさ」
「どうやって」
「Aのもとへ」
「動かすのさ」
「トリックってこと?」
「バレないようにやらないと、興ざめでしょ」
「目の前でお前がレゴにレゴ乗っけてたら」
「滑稽だな」
「そうなのよ」
「現状を整理すると以下の通り」
「”場所”のせいで曖昧なのか」
「かばんについて議論する前に、そもそも現場へ明日を運ぶ必要があるのかを考えないと」
「明日の発動方法を決めてから、かばんの要否を判断すれば良いと」
「逆にAを自宅へ動かしてしまえば、明日を連れ出す必要はない」
「その通り」
「つまり」
「まずは明日を運ばない場合のシミュレーションをすべきだね」
< 翌日 >
早速シミュレーションを行うことにした。舞台はIKEA。
数多の検証ステージ(家具付きショールーム)を擁するお店だ。
(引用:https://www.enjoytokyo.jp/shopping/spot/l_00012140/)
テレビ番組「SASUKE」で言うと、
山田勝己の家の庭のようなモノ。
(引用:https://blog.excite.co.jp/porsche/10631850/)
意気揚々と2Fのショールームエリアへ進むと、わたしたちは“Aに悟られず明日を発動する方法”を考えることにした。
【1st STAGE】
「これめちゃ難しいじゃん」
「素人だしな」
「新しい趣味にふさわしい」
怪訝な表情を浮かべながらも、ペンは走り出す。
※これは、正真正銘の「デザイナーがなす業」
「仕掛けのアイデア出しでいいよね?」
「何かの現場じゃん」
「ていうか」
「明日とつながっている物体は何だ」
「重石」
「んおもし」
「部屋にないものは使えないことにしよ」
「床に突っ伏しているガイシャは誰」
「被害者な」
「これやると雪平警部補が来てしまうのよ」
(引用:https://maidigitv.jp/article/16555e94bea74e71.html)
もはや今回のAはガイシャなのかもしれない。
とにかく考えが甘かった。このやり方は”絵に描いた餅”である上に、序盤から雪平警部補が出てきてしまうのだ。
【2nd STAGE】
2段に陳列されたソファたち。
この奇妙な群れを眺める私を、おばあさんが制する。
「これは部屋のレイアウトじゃないぞう」
「あえて」
「ソファが上昇している?」
「Aを乗せたソファがライズアップする」
「その坂を駆け上がり、レゴを届ける明日」
「なんでライズアップすんの」
「いや」
「スケール感を出したいなと」
「なんでライズアップすんの」
「ライズアップしないじゃん」
「うん、しない」
【3rd STAGE】
ここで我々はようやく現実的なアプローチを見つけた。
「ここはシンプルな部屋だから」
「再現性のある方法が検討できそうだ」
「こういうことか」
「ハンモックを駆ける明日」
「かっこいいだろ」
「しかもこのイラスト」
「Aが狼狽する様子も再現されている」
「神が細部に宿った事例」
「てかAの反射神経やばいな」
「ハンモックからいきなりレゴが突っ込んできたら」
「受け止められるか?」
「Aは昔アイスホッケーやっていたらしい」
「ホッケー万能説?」
(引用:https://teiichi.jp/pride-douga/)
【4th STAGE】
私は机の上に並んだ雑貨を一瞥し、一計を案じた。
これがのちの一瞥一計である。
3rd STAGE(ハンモック)の結果を踏まえて、受け取りやすさも考慮。
「カゴに入ったな」
「もはや」
「動くレゴを使う必要性がない」
「そしてケージじゃねーよ」
「これ、モノマネで『あのね、芦田愛菜だよ!』って言うのと同罪だから」
おばあさんは、案出しにシビアだ。その理由は明らかで、「明日が割り勘だったから(17,000円/人)」に他ならない。
明日が「一生続けられる趣味」シリーズでデビュー出来なければ、ただのお金の無駄。しかも廊下に置いておくとクソ邪魔。擬人化するなら間違いなく、ちっちゃな頃から悪ガキで、15で不良と呼ばれるレベル。そのくせお値段は立派な温泉旅館で一泊二食付きプランを楽しめる代物だ。
【5th STAGE】
“明日”という、あくまで手段でしかない存在に踊らされている。冷静と情熱の間にある、エアコンがしっかり効いた精神状態で考えなければいけない。
※ようやく真剣に考え始めた
おばあさんがショールームを観察する目も、序盤とは打って変わり[マジメの化身]と言って差し支えなかった。そのペン運びを見守ると、半分くらいで「これはヤバい」と感づいた。が、わたしは彼女を信じることにした。
「できた」
「部屋に入った瞬間、部屋内に内蔵された人感センサーが」
「人感センサー」
「無理だろ」
「無理じゃん」
「そもそもAと、どうやってヘップバーンのある部屋に行くのさ」
「ヘップとは距離のあるタイプだしな」
「Aは」
「お前んちにヘップのポスターとかないんか」
「ない」
「ヘッ」
「オードリー春日ならまだ可能性ある」
「すまんそういうつもりのヘッじゃない」
「ヘップを発音よく言おうとした」
【6th STAGE】
「これは・・・」
通路の一角に設置された、大きな姿見。ヘップのくだりで猛省した我々は「次こそは」をスローガンに、目を光らせた。
「ミラーは恰好のアイテム」
「視覚トリックのやつだ!」
鏡を使って、急に目の前からレゴを持ったレゴ(明日)が現れるシーンが思い浮かんだ。都合のよいことに、すぐ近くに家具の配置シミュレーターがあったので、このツールで仕掛けを深堀りすることにした。
「まず、部屋に鏡があります」
「回ってない?やけにデカいし」
「ほうら出てきた」
「ちょっと待て」
「課題は3つです」
「広告代理店の人だ!」
「①回ってる②部屋の真ん中すぎ③デカすぎ」
「そして回ってる」
半ば自滅した我々は、答えを見つけられないまま展示ルームを後にした。
もはやA邸にレゴを送ることも頭をよぎった。
しかし店内の壁には、1st STAGEのガイシャによる「明日こそが具現者たる存在」というダイイングメッセージが残されていた。
【やっぱりこのイメージでいきたい】
もっとトライ&エラーが必要だ。
やがて1Fレジにたどり着いた私の目の前に、アレが姿を現した。
「これは・・・」
『そうだ』
『明日が入る袋だ』
振り返ると、
言葉の主・おばあさんはすべてを悟った表情をした。
「さよなら レイ=ペンバー」と同じ顔をしていた。
「かばん」
「思い当たる節っていうのは」
「これだったのか」
(引用:https://www.amazon.co.jp/ref=nav_logo)
皆さんもご存知、大容量×使用性の高い素材感に定評のあるIKEAバッグ。物の本によると、杉並区ではこの袋でコインランドリーに来るやつは“センスがある感”を醸し出すことが正式に認可されている。
「そうだ」
「さっきからゼフの返事すんな」
(引用:http://wakaba001.blog99.fc2.com/blog-entry-134.html)
「このカバンとおれを巡り合わせるために」
「シミュレーションさせたのか」
「うん」
「なんて無駄な時間だったんだ」
「三井寿より時間を無駄にしてる」
「でも、イメージできたでしょ?」
「Aにどうやってレゴをあげるのか」
「そして」
「死ぬまで友達にレゴを贈り続けるのが、どういうことか」
「うん」
「たぶん、そこにあるのは」
「狂気と」
「乱舞」
「ナイスだね」
「ナイス乱舞をかばんに詰め込んで」
「地球は回る」
「さっき回ってたのは地球だったのか」
「そうだ」
「で、お前はこのかばんを」
「買うの?」
迷わずLサイズのバッグを手にとり、レジへと踏み出す。
※10分くらい並んだ
『引き返すつもりはない』
「ピッ」
初めてのIKEA無人レジ、勝手がわからず手は震えた。
たった数百円の買い物、現金は使えない仕様。
35,000円の車を運ぶ、たった数百円のかばん。
明日を運ぶ大事なかばんとして、青い袋を購入した。今日からお前を「asかばん(アズカバン)」と呼ぼう。
おばあさんに意見を求めたら「わろた」しか返ってこない気がしたので、今回は自分で決めた。
明日を運ぶ、asかばん。
「明日」と「かばん」のゲシュタルト崩壊がもっぱらの心配事だが、私は青色の建物で、青い車を運ぶ、青い袋を手にした。計画が成功したら、ブルーノのプレート買ってパーティしょ
よし、決行の日を決めよう
【一生続けるシリーズ「レゴシティ編」 第2話 終わり】
一生続けられる趣味って存在するの?
こんにちは。
突然ですが、皆さんに「趣味」はありますか?
(引用:金魚と遊ぶ.com)
それは、例えば
小さい頃から続けている野球、もとはといえば両親に習わされて始めたピアノ。同僚と通うボルダリング、カフェで小説を読むこと。色々なコトが「趣味」にあたるだろう。
しかし、なんというか、27歳を超えたあたりから
(まだまだそんな年齢でないことは重々承知だが、)
「体がついてこない」「最近忙しくて・・・」
趣味に対する、ネガティブな声を聞くようになった。
人は歳をとると、趣味に興じるための「体力」と、新しい趣味を始める「気力」が失われてしまうのだろうか。しかし一方で、歳をとる中で身につくコトもあるはずだ。「人生経験を通じたノウハウ」である。これを反映した「趣味」こそ、年月によって熟成される理想的な形態ではないかと思う。
*補足すると、ここで言う「ノウハウ」は、芸術やスポーツのような審美眼・競技性を付帯する行為とは一線を画す。具体的に言うと、「人と人がコミュニケーションをとる際に起きる、あらゆる事象を予測する力」といった感じだ。
▼参考記事:大人になると「誕生日」に起きること
【ここで本題】
社会人6年目を迎えた私には現在、胸を張って「趣味」と呼べるモノが特になく、ほんの少し寂しさを感じていた。そこで。「平成→令和」という一つの区切りを迎えた今こそ、「一生続けられる趣味」を考えてみよう、と思い立ったのが今回の企画である。
▼過去はコチラ(※「エピソード0」公開中)
stepfatherena15.hatenablog.com
*****
「今まで見つけられなかった、新しい趣味の切り口はないか」
「これからやりたいことは何か」
近所のカフェで考える。良案はまったく浮かびそうにない。思いついたことを強いてあげるならば、「バス・トイレ別の部屋へ引っ越したいが、家賃とのバランスは要検討」くらいのものだ。このように困った時は、銭湯へ行くか、気の置けない友人へ相談するのが良いだろう。すでに卓上のアイスコーヒーは氷が溶けきっており、薄茶で濁ったツートン状態になっている。まずい。
【3日後】
「こんにちは」
「こんにちは」
大学時代の先輩へ連絡してみた。こちらの女性、現在はデザイナーとして活動されている。デザインの「デ」も「ザイン」の字も知らない私にはよくわからないが、ペンタブを華麗に使いこなすその様は「IT感のある人」といって差し支えないだろう。私はそんな先輩へ敬意を表し、彼女を「お婆さん」と呼んでいた。
早速、私はお婆さんへいきさつを話した。
「キッチンが狭いのも悩みだ」
「引っ越せ」
「岐阜編が終わった後にさ」
「ワードプレスの記事でさ」
「1話だけ更新したやつあったじゃん」
「レゴシティ計画か」
◆「レゴシティ(計画)」とは
映画「リメンバー・ミー」鑑賞がきっかけで、自分自身も死後に友人たちから忘れられない方法を考えた企画。その結果、『友人Aに生涯、ことあるごとにレゴをプレゼントし続ける』という案をシミュレーションし、普通に失敗した。
(引用:https://www.disney.co.jp/)
『なぜ、ことあるごとにレゴを贈るのか』
---------
①友人に「あいつによくレゴもらったなぁ」という記憶を植えつける。
②私の葬式では、今までプレゼントしたレゴをすべてバラし、棺桶へ入れてもらう。
③そのレゴたちが「レゴシティ」となり、私が没後に暮らす死者の国を描き出す。
④私が死んだ後、友人がどこかで偶然レゴを見かける⇒私を思い出す。
---------
正直何を言っているのかわからないことと思うが、要は「自分にとって大切な人たちから忘れられないために、何が出来るだろう?その解を考えるコト自体を趣味にする」という趣旨だ。
「あれは心温まるぜ」
「なるほど」
「ハートウォーミング系な」
「プレゼントを渡すっていう行為にはさ」
「“どこかで会う”っていう前提があるわけじゃん?」
「そうだね」
「大人になるにつれて、会わなくなってゆくじゃない?」
「人は」
「会うって素敵やん」
「レゴにノータッチじゃんお前」
「とはいえ"生きてきた証を作る"っていうのは素敵な趣味だな」
「大きな目標を掲げて本気で臨むからこそ、周りの人から手を差し伸べてもらえるのだと思うよ」
「たとえその手法が、エンドレスなレゴだとしてもね」
「正直何言ってるかわからないけど」
「デザインの"デ"の字もないし」
お婆さんから辛辣な意見もあったが、レゴシティ計画は壮大なテーマを持つ、趣味に適したアイデアかもしれない。そうなると、ここで1つ明確にすべきポイントがある。仮に「趣味」とするならば、レゴが「リメンバー・ミー」の手段として機能する最適なアイテムであるかどうか検討しなければならないのだ。
「この趣味、レゴじゃなくてもいける説ないか?」
「試しに」
「レゴを別のモノに置き換えてみようか」
「うん」
「レゴじゃなくてレリゴー」
(引用:https://matome.naver.jp/odai/2141070120997582801/2141073182915478403)
「ことあるごとにレリゴ―のCD渡すの?」
「うん」
「狂気じゃん」
「レゴみたいに、いろいろな商品・シリーズがあるのが必須だな」
「レゴにしか出来ない差別化ポイントだね」
「レゴじゃなくて囲碁」
( 引用:boardgame-blog.com)
「対局すんの?」
「うん」
「対局ごとに新たなストーリーが生まれる」
「ものは言いようだな」
「でも囲碁は」
「アレが邪魔」
「アレよ」
▼「碁盤」が出てこないババア
「下手したらアレ、レゴより場所とるぜ」
(引用: 黒田碁盤店)
「碁盤は購入しないとダメだよな」
「うん、碁盤は必須」
「」
「その点」
「レゴは場所をとらない」
「いやそんなことはない」
「バラせるじゃん」
「レゴには箱があるから」
「!」
「バラして運ぶとき用に保管するやつね」
「逆に、アレは1つ買えばずっと使えるから」
「じゃあ碁盤の方がかさばらないか」
「レゴ負けてらぁ」
(引用:アマゾン)
レゴは惜敗した。箱が邪魔だった。しかし、IT感のあるかつての仲間がいない今、このお婆さんの協力を得ることが必要な私は“レゴである必然性”を説く。ところで、そもそも“レゴじゃなくてもいい説”を提唱したのは私なので、時系列を整理すると私は1人で勝手に形成逆転されたことになる。いわゆるタイムロスだ。
◆『レゴじゃなくてWE-GO』
このときお婆さんへ言おうとして言わなかったコト。“WE-GOで買った服を延々と友人Aに贈る”という行為は手段として不適切である。“非日用品”であり “雑貨”としての機能・バラエティが担保できるレゴに軍配が上がるだろう。ちなみに、今までの企画(「岐阜編」「Tokyo案庵」)は中身のない雑談が多く、ドラゴンボールのアニメ並みに話が進まなかったので、「今回は発言に十分注意しよう」と決意していた。しかしその結果、このように言葉と文章の性質差を用いた巧妙なトリックでWE-GOの話をしてしまっている次第だ。タイムロスである。
「結局のところ、連続性とストーリー性が大事じゃない?」
「たしかにねえ」
「さっきお前が言ってた、『そのレゴが死者の国となる』みたいな強引なやつ、めっちゃツボだわ」
「もう1回やって」
「贈り続けたレゴシティの欠片たちは、自身が死ぬとき、棺桶の中に還る」
「ふむふむ、欠片たち=バラバラになるわけね」
「レゴシティの欠片が、自分自身の“死者の国”を描き出す」
お婆さん渾身のハッとした演技のクオリティは、非常にしょうもなかった。
しかし、いつの時代もお婆さんと郷ひろみは素敵な事件(こと)を探している。何はともあれコンセンサスがとれたので、「【レゴシティ編】とある友人Aに、ことあるごとにレゴを贈り続ける企画」が正式にスタートを切ることとなった。
今後の人生で幾度となくレゴを渡され、いつの日か自宅に“レゴの街”を築くこととなる友人Aはたぶん複雑な心境だが、将来はお子さんの知育にも活用できる「レゴ」であるからこそ成り立つ【win-winな企画シリーズ】の幕開けである。
お婆さんもジョインした。
-----------------
◇お婆さん
【特徴】
・走り方が劇的にダサい
・酒を飲むときは「弱い日」と「めっちゃ弱い日」がある
・頼りになるデザイナーさん
-----------------
さて、レゴシティ計画を「趣味」とするには、まだいくつか懸念がある。
①友達にレゴを贈る行為は、趣味として成立するのか
②友人Aのメンタルケア
(≒友人Aがレゴを嫌になってしまうかもしれない)
特に②は非常に重要なポイントだ。
「またレゴかよ」
「嫁がキレてる」
こういった事態を避けるため、何かしらの工夫が必要だ。
<たとえば>
◆フラッシュモブなど、渡すシーンのサプライズ演出
(画像:http://xn--xckxa7cg3drz.com/wp)
◆ドローンを使った、渡す方法のサプライズ演出
(画像:https://www.dronecrew.jp)
アクロバティックな方法も頭をよぎったが、この趣味の目的はそういった“ネタっぽさ”ではなく、地に足のついたモノだ。
悩んだ。
ここにきて「目的」「手段」というワードを繰り返し過ぎて疲れてしまったので、これ以上「目的」と「手段」でゴチャゴチャしないように目的と手段を一緒にすることにした。
(引用:https://tunegate.me/P20161226034)
決して2つの概念が交錯しているわけではなく、これは議論をシンプル化するための合理的発想だ。
◆目的(一生続けられる趣味を作る)の手段。
目的(友人Aにレゴを贈る)の手段。
⇒どうやってレゴを渡すか。
すなわち、「レゴでレゴを渡す方法」を考えた。
【1週間後】
社会人の決断は早い。
動くレゴを購入した。
(http://shinmaipapa.hatenablog.com/entry/LEGO_Technic_2017)
高価だった。
交渉の末、お婆さんに半額(¥17,000)出してもらった。
その後、2日間の組立て作業の末、レゴは完成した。骨の折れる作業だったが、友人が喜ぶ顔を想像するだけで胸は踊ったし、手は動いた。これが<人がお金を使う意味>なのだろう。そう気付いたとき、私はこの趣味の行く先が明るいモノであることを悟った。
動くレゴ。
けなげに動くレゴが可愛いので、名前をつけることにした。
「名前をつけようと思う」
「やべぇやつじゃん」
「レゴに」
「名前つけんの?」
「むかしチャリに名前つけてるヤツいたわ」
レゴに名前をつけることは恥ずかしいことではない。私はこの相棒(レゴ)と共に、友人Aへ生涯レゴを贈り続ける、レゴはいわば伴侶なのだ。
「コイツの名前は」
「明日(あした)」
「」
「ええやん」
他にも候補名は挙がったが、出資してくれたお婆さんの同意が得られたので、名前は「明日(あした)」に決まった。
さて、舞台は整った。
◇友人Aに渡すためのレゴを購入。素晴らしい。
◇この日、友人Aと会う約束をしている。素晴らしい。
あまりに整いすぎて、もはや1周まわって逆に何も整っていないのではないかとすら思った。残る手順は、集合場所で待つ友人Aのもとへ明日がレゴを運ぶだけ。私は近くの木陰に隠れながら、明日を操縦する。
▼イメージ図
J-POPの歌詞で「明日は来る」という言葉をよく耳にするが、友人Aからすればまさに“明日がやって来る”のだ。まさかこんな可視的な形で明日がやってくるとは夢にも思わないだろう。などと想像を膨らませながら明日を眺めていると、集合時刻が迫ってきた。
明日をカバンにしまい、
玄関へ向かう。
明日が入らない。
「うそやん」
困った。
お婆さんにも相談してみたが、時すでに遅し。
持ち運ぶ手段がないのでは何もできない。
◆この状況を整理したのが以下である。
さて、今わかっていることは1つだけ。1つだけだ。
明日を外へ持ち運ぶためには、「大きなカバン」を手に入れる必要がある。
【一生続けられる趣味 「レゴシティ編」 第1話・終わり】
「一生続けられる趣味」を考える話(Episode:0)
こんにちは。
突然ですが、皆さんに「趣味」はありますか?
(引用:金魚と遊ぶ.com)
それは、例えば
小さい頃から続けている野球、もとはといえば両親に習わされて始めたピアノ。同僚と通うボルダリング、カフェで小説を読むこと。色々なコトが「趣味」にあたるだろう。
しかし、なんというか、27歳を超えたあたりから
「体がついてこない」「最近忙しくて・・・」
趣味に対する、ネガティブな声を聞くようになった。
人は歳をとると、趣味に興じるための「体力」と、新しい趣味を始める「気力」が失われてしまうのだろうか。しかし一方で、歳をとる中で身につくコトもあるはずだ。「人生経験を通じたノウハウ」である。これを反映した「趣味」こそ、年月によって熟成されてゆく理想的な形態ではないかと思う。
ちなみに補足すると、ここで言う「ノウハウ」は、芸術やスポーツのような審美眼・競技性を付帯する行為とは一線を画す。具体的に言うと、「人と人が触れ合う際に起きる、あらゆる事象を予測する力」といった感じだ。
(▼参考記事:大人になると「誕生日」に起きること)
<本題>
社会人6年目を迎えた私には現在、胸を張って「趣味」と呼べるモノが特になく、ほんの少し寂しさを感じていた。そこで。「平成→令和」という一つの区切りを迎えた今こそ、「一生続けられる趣味」を考えてみよう、と思い立ったのが今回の企画である。
【 新シリーズ「レゴシティ編」 】
- 令和にちなんで、第0話から始まる話 -
【2015年・4月】
社会人2年目を迎えた私は、かつて初任給でMacを購入したものの、YoutubeとZOZOTOWNしか使いこなせない日々に辟易していた。
そこで、
◆某 IT企業に勤める友人 <二嶋>
◆IT・ガジェットにこだわるエディター<世界>
◆カリフォルニア出身のダンサー <ジェバンニ>
そんな仲間たちと共に、(今や朝ドラの舞台としてすっかり有名になった)岐阜編・恵那市で、観光資源のPRを行うのではなく『自分自身がITを駆使すること』を目指したブログ企画を開始。その1年後の冬には、同地域で開催されたムービーコンテスト「エナデミーSHOW!」の表彰式へ出席し、物語は大団円を迎えた。
【2019年・春】
社会人6年目を迎えた私は「一生続けられる趣味」を考えるにあたって、かつての仲間たちへ連絡をとろうと考えた。しかし、新婚ホヤホヤの友人、二嶋(にしま)からの突然の連絡によって、時計の針は意外な方向へ動き出す。
などと、示唆に富んだフレーズを隙あらば言ってみたいのが世の常である。
*******
それは突然の宣告だった。
「すまん」
「記事更新してたホームページ、消えたわ」
「ん?」
※「ワードプレス」とは:機能性・自由度がウリの、ユーザー人気が高いホームページ作成ソフト。2015年当時、「岐阜編」の更新は同ソフトを使用しており、管理責任者は二嶋だった。
「消えちゃったとは?」
「そしてもう1つ聞いてくれ」
「IT感のないやつが言いそうなセリフをまた」
「消えちゃったのか」
「いや消えはしないだろ」
「1つ聞いてくれ」
「記事を復元できない」
▼2年間更新した記事がすべて消えたかもしれない人
「ん 」
「なんで?」
「いや、話すと長くなるんだが」
「式の準備とかいろいろ忙しくて」
「まあ、いろいろあったんだ」
「そうか」
「色々あるよな」
過去の企画シリーズである、「岐阜編」「Tokyo案庵」が終了して2年。かつての仲間、二嶋・世界・ジェバンニは全員結婚した。
(引用:東洋経済オンライン)
心からおめでとう。
そして困った。
―――「IT感」のある仲間がいないと、何も出来ない。
自らのIT感のなさを痛感し、部屋の天井を見上げた。実際には天井など見上げていないが、途方に暮れているニュアンスを演出するために見たことにした。ところで、≪IT感がない≫のニュアンスを単刀直入に言うと≪PCスキルがなく、人様にとって有価値なモノを作れない状態≫を示している。そしてさらに単刀を直入すると、今の私は「ド文系の成れの果て」といったところだ。
そして「直入」と「直人」は文字が似ている。
かつての同級生・直人(ナオト)君が頭をよぎった。そんな最中、直人君の友人である二嶋の言うことには「今までワードプレスで書いた記事が全て消えてしまった」わけだ。一方、直人君の双子の兄である義人(ヨシト)君とも友人である私はというと、記事のバックアップ・下書きは一切とっておらず。そして何より、義人君と二嶋も友人なのである。
◆この状態をまとめたのが以下である。
しかし現状を憂いても何も変わらない。私は、はてなブログ(※通称「はてぶ」。ワードプレスを使用する前の2016年5月までお世話になっていた)を立ち上げ、いちから新しいコトを始めようと考えた。
なお、その際にも「久しぶりのログインのためパスワードを忘れる」などIT感のないトラブルに遭ってしまった。「パスワードを忘れた方」をクリックし、設定した質問:『母親の旧姓』を入力し、無事ログインした私の頭に、一つの言葉がよぎる。
「何事も続けることが大切」
この企画は、私の趣味となり、人生となり、やがて足跡となる。
などと、示唆に富んだフレーズを隙あらば言ってみたいのが世の常であるし、これから考える私の趣味は、こんな感じで「よくあるしょうもない話を、あたかも”エモ”風に見せかけること」に他ならない可能性が高い。
【一生続ける企画「レゴシティ編」 第0話 終わり】
第21話 トイレとコーヒーの関係性を証明せよ (キカクシリーズ「岐阜編」)
こんにちは。
<前回までのあらすじ>
「岐阜編」
「ITを駆使している感を醸し出すこと」
を目指し始まった企画シリーズ。
■言い出しっぺの私
■小学校からの旧友・二嶋
■Mr.こだわり 世界
3人でこの1年間、岐阜県・恵那市を舞台に3つのキカクに挑戦してきた。
しかし、シリーズ開始から1年が経った中
「内容がひどい」
「何がしたいのかわからない」
「IT感ってなんだ」
そういったご指摘をいただくことが多く、ここで一度“岐阜編を考え直すことが必要なのではないか”と、私は重く受け止めていた。
【第20話を見逃した方はコチラから】
【過去のキカク カテゴリ一覧】
第1回:あけてつあるけ編 カテゴリーの記事一覧
第2回:かかしコンテスト編 カテゴリーの記事一覧
第3回:三十三観音めぐり編 カテゴリーの記事一覧
【岐阜県 恵那市について】
恵那市観光協会 :: ホーム
*******
ここが新しい物語の舞台だ。
我々はこの1年間、何をしてきたのだろう。
第1回「あけてつあるけ編」では、
明知鉄道の線路沿いを歩き切ったフリをした。
第2回「かかしコンテスト編」では、
提出期限を見誤りカカシを出品できなかった。
第3回「三十三観音編」では、
度重なる道草が仇となり、31箇所で日没・断念した。
これが結果。
紛れもないノンフィクション。
ーーー「岐阜編の何が問題なのか」
そこで今回、我々は“初めて”3人で集合し
「IT感のある反省会」を行うこととなった。
*******
(引用:http://juverk.hatenablog.com/entry/2014/10/06/182944)
東京都は新宿区。
ここが今回の舞台だ。
そして記念すべき、
二嶋と世界の初対面。
「二嶋です」
「世界です」
【AM10:00 某喫茶店】
「さて、岐阜編が始まって1年経つわけですが」
「我々は何がしたいんだろうか」
「な」
「おれもそれ知りたい」
「何も達成してないから方向性が見えないんだよ」
「もはや“前フリからの結局ダメでした”シリーズだと思われているな」
「それは困ったな」
「いや」
「我々が悪いよ」
「深堀りすると、示したいのは“結果と過程”どちらなのかという問題に辿り着くんじゃないか?」
「それは」
「過程だね」
「にしてもだ」
「お前、雑談そのまま書いているだけじゃん」
「つまりそれは」
「さっきのコーヒーの件みたいな」
「二嶋の“ホット譲渡”のことか」
「それが良くないんだよ」
事件が起きたのは10分前。
**【オーダー】**
■アイスコーヒー
■ホットコーヒー
■ホットコーヒー
**********
悲劇の舞台は閑静な喫茶店。
我々の注文に対し、テーブルに届いたのは
■アイスコーヒー2つ・ホットコーヒー1つ
(※実際の状況)
「おや」
「いいよ世界、おれアイス飲みたくなってたから」
(※実際の譲渡)
「じゃあなんでホット注文したの」
「」
「トイレに行く前と後で」
「人間は生まれ変わるじゃん?」
「」
「どういう事情だ?」
たしかに、二嶋は直前にトイレを使用していた。
(引用:http://blog.livedoor.jp/otapon/archives/23552961.html)
「いや、わからなくもないな」
「どういうことだ」
「あれは3年前の夏」
「友人の実家へ遊びにいったときのこと」
(※実際の写真。長野県 松本市)
「そうあの日、常識は容易く覆った」
“お金持ちの家にあるもの”
(実際の写真。木彫りの熊)
(実際の写真。天窓と望遠鏡)
「光るトイレ」
(引用:http://plaza.rakuten.co.jp/suidouya24/diary/201008230000/)
「えっ」
「マジで?」
「彼の母親が“遊び心”でやったらしい」
「あれを見た瞬間」
「おれは生まれ変わった」
「そうか」
「事も無げな顔で“トイレ行ってくるわー”と言って席を立ったヤツに、数分間で衝撃的な出来事が起きる可能性は十分ある」
「シンプルに言うと」
「腹の調子が悪くてトイレ行ったらスッキリして、アイスコーヒーが飲みたくなったんだ」
「そうか」
「おれの言い方が大袈裟だったわ」
「時間返せ」
**********
「恵那の資源をキカクにするより」
「我々で何かを作るのはどうだい」
「映画とか?」
「そうそう」
「たしかに、今までは何かに乗っかる形が多かったな」
「それでアウトプットが御座形になっていた節もある」
「そして結果的に」
「ごちゃごちゃうるせーけど何もやってないじゃんこいつら」
「っていう」
「おいおい」
(引用:http://ohemaga.com/event/ena-academy-award2015)
「コンテストやってるぞ」
「ショートムービーの」
「なんで毎回コンテストやってるんだよ」
「我々、なんだかんだ」
「恵那に愛されているな」
(引用:http://konma3520.blog.fc2.com/blog-entry-934.html)
かくして第4回キカクは決まった。
「エナデミーSHOW」に向けて映画を撮る。
もちろん、提出期限までに。
「そういえば」
「ワードプレスで新しいページ作ったわ」
「まだ叩き台レベルだけど」
「コピーとか適当に修正しつつ、ほどよきところで移行してくれ」
言い方にIT感があった。
「ほどよきところでな」
「うん」
「これで本格感は演出できるな」
「よっしゃ、映画撮ろうぜ」
二嶋の思いつきで映画を撮ることになった我々。
もちろん、映画撮影の経験などない。
2016年。雑談まみれの夏が、また始まる。
2年目に突入した岐阜編。
これからも引き続き、ダラダラとお楽しみください。
※「Tokyo案庵」の記事も含め、今後の更新は
ワードプレスの新ページでの更新となります。
(岐阜編 第21話 終わり)
ピクニック改革(Tokyo案庵 第3回)
こんにちは。
<前編のあらすじ>
1年の中でもっとも“なんか気持ちいい”シーズン
「5月」
の、存在感は薄い。
そんなことが気になった私は新しい5月の発掘を画策し、近頃の若者に忘れられつつある「ピクニック」の存在をあらためて見直そうと考えた。
(引用:http://minadoyurika.blog.jp/archives/1009814640.html)
その結果、お弁当のラインナップが“あるある”化してしまったことが若年層に相容れないイベントとなっている理由の一つでは?という仮説に辿り着く。
この仮説を実証するために私は
ジェバンニ・渕上
Mr.こだわり・世界
とともに、
“なんか気持ちいい”お弁当を持ち寄りピクニックを行うことに。
我々はゴールデンウィークを費やし、徹底的な準備を行った。
社会人にとってかけがえのない存在・ゴールデンウィーク。
我々は「5月が生まれ変わる瞬間」を信じながら、お弁当作りに没頭したのである。
【前編を見逃した方はコチラから】
*******
【2016年5月8日(日)】
場所は都内・某公園。
時は来た。
「お疲れさまです」
「お疲れさまです」
「GWも終わりだねえ」
「弁当のこと考えてたらいつの間に」
今までのTokyo案庵にはない“緊張感”が場を包んでいた。
我々がいかに本気でお弁当と向き合ってきたか、写真からもおわかりいただけるだろう。
私はこの空気を出来る限り丁寧に感じ取りながら、話を進めた。
「ルールを整理しよう」
***************
2016.5.8
“なんか気持ちいい”弁当の鉄人
〜ダイバーシティの夜明け〜
***************
(引用:http://www.famitsu.com/news/201107/26047374.html)
ルール①:一番“なんか気持ちいい”弁当を作ってきた者の勝利
ルール②:審査は出場者自身で行う。
以上。
(引用:http://laughy.jp/1412742218828100694)
「見せる順番はどうする」
「潔く、一斉に披露でよくないか?」
「せーので、いきましょう」
「一斉にオープンした後、そのまま弁当プレゼンに入ります。プレゼンの順番は、私から反時計周りでお願いします」
この戦いは優劣を決めるためにやっているわけではない。ただ、
「2人がどんな弁当を作ってこようと、自分の弁当が勝つ」
この時、我々3人は間違いなく同じことを考えていた。
「さて、そろそろいきますか」
開いた瞬間、勝負は決する。
「すまん先にトイレ行くわ」
「うおぃ」
「案ずるな、世界の揺さぶりだ」
***3分後***
「ではでは」
さあ、
「お弁当ダイバーシティ時代」幕開けだ。
「せーのっ」
全員「そば」だった。
「…」
「…」
「じゃあ、君から」
「はい」
【私のお弁当】
こうなってしまったからには単刀直入に言おう。
ただの天ざるだ。
しかし、①器の本格化(近所のそば屋さんが閉店したときにくれた)によるシズル演出②ピクニック会場でのユーザビリティを考慮しためんつゆの選定は頭一つ抜けていると言えよう。
また、山菜の天ぷらを添えることで季節感を訴求。5月の存在感を向上させることを念頭に置いた、シンプルなトータルコーディネートとなった。
【世界のお弁当】
へぎそばである。
世界のチョイスは、彼が最近まで住んでいた新潟県の名産物。
正確に言うと、今回わざわざ新潟まで買いに行ったのである。
「という経緯がありまして」
「世界はんぱねーな」
「アホだろ」
「交通費自腹で」
「アホでしょ」
「案ずるなジェバンニ、おそらく別件で買ったそばが余っただけだ」
「じゃあ何で買ったときの写真残ってるのさ」
「これ見よがしにもほどがある表情してるぞ」
「ほんとだ、これはクロだな」
「そばに関してはここまで」
「続いて、容器と薬味についてです」
「おれら100パー負けじゃんこれ」
キカクにおいての“世界”を初体験するジェバンニは困惑していたが、世界は間髪入れずにプレゼンを続ける。
「まずはこの小皿」
「私が焼いたものです」
「陶芸?」
「言うまでもなく陶芸だな」
(※裏面)
「そして、このお皿に」
「静岡県産のわさびを」
「少々乗せましょう」
「完成です」
世界のこだわりが存分に溢れ出たお弁当。
ポイントとなるのは、他の2人と競合しそうなメインの容器をシンプルにピクニックらしく抑え、薬味を入れる小皿の選定(というか手作り)にスパイスを利かせた点だ。
ちなみにねぎは近所のスーパーで買ったらしい。
「器焼くのは反則だろ」
「ピクニックにそんなルールがあるかい?」
無論「ピクニックに自分で焼いた器を持ってきてはいけない」というルールはない。
「はい」
【ジェバンニのお弁当】
まず、先ほどのオープン写真をもう一度。
大半の方がジェバンニのお弁当に目がいったはず。
「そばっちゃそばだけど」
「俺のは、正しくはGrano Saraceno」
「たしかにお品書きにそう記されているな」
「Grano Saracenoの実態を教えてくれよ」
それはジェバンニ渕上、渾身の一皿。
奇を衒った作品にも見えるが、工程に一切の妥協はなかった。
学生時代に培った「まかない作り」の経験が、彼にインスピレーションを与えたという。
ピクニックを彩る、真白な舞台に舞うトマトとジェノベーゼ。
「そして」
「このステージには、まだ登場人物がいます」
「!?」
「お前らちょい足し好きすぎだろ」
「自家製?」
「いや市販」
「ほっ」
「」
「完成です」
「はい」
「お腹空いたし、食べようぜ」
「うん、結論は食べてからにしよう」
実食。
「そういえばさ」
「うん」
「引っ越しそばって、引っ越してきた人が自分で食べるんじゃなくて、周りに配るものなんだってね」
「①そばに引っ越してきました②細く長くよろしくねという意味で」
「へー」
「ただ、“細く長く”って初対面で宣告するのは寂しい気もするよな」
「ご近所さんとのつながり、大切だよな」
「というわけで、東京へ引っ越してきた世界のために今日は太麺をチョイスしたよ」
「細く長いのは、人生の道のりだけでいい」
「いいことっぽいこと言ってシーンの切れ目作ろうとするのやめろ」
「お前の悪いクセだな」
「ただ」
「塁のアイデアに一つだけ苦言を呈するならば」
「へぎそば見てみ?」
「細麺の方がつゆによく絡むだろ」
「お前もだよ世界」
「これは一本とられたな」
「ペンネなんてもってのほか」
「そして前話の伏線回収まで請け負うと」
今思えば取るに足らない相手だった【ビンにペンネ】
完食。
お腹いっぱいである。
「いやー美味かった」
「全員お弁当カブったけど楽しかったな」
「ダイバーシティもくそもなかったな」
「うん、今回は引き分けということで」
(引用:http://blogs.yahoo.co.jp/dyirap/47156024.html)
「デザート食いたいな」
「31アイスクリーム食べて帰るか」
私と渕上は腰を上げた。
「そう来ると思っていたよ」
「え」
「死神はリンゴしか食べない」
「フチガミ、お前は?」
「あ、いただきます」
***
提案:「“なんか気持ちいい”5月の休日は、天気にふさわしいお弁当を持って久々にピクニックへ行こう」
****【試した結果】****
①忘れ去られつつあるが、ピクニックは今も楽しい。
②5月の空の下で食べるそばは美味しく、“なんか気持ちいい”感がある。
③ダイバーシティを明確に謳ってしまうと、カブったとき空気が悪くなるので、今の“あるある”弁当も文化として残した方がいい。
結論:5月といえばピクニック、そばを優雅に嗜もう。
***************
(引用:http://ciatr.jp/topics/72305)
(Tokyo案庵 第3回【後編】終わり)
■Special Thanks: Karen Ando